土方をやる

 

 46年前の話である。18歳になったばかりの2月、浪人しようと決めた。それから予備校に行くまでの約1ヶ月あまり、生まれて初めてのアルバイトをした。

 アルバイトといっても石川県の田舎でありロクな仕事もない。雪が積もる冬場の農村の唯一の「産業」は公共事業(笑)。冬場 はどこの家庭でも「おとん」も「おかん」もこうした建築現場で働き、現金収入を得て家計の足しにしていた。私も近所の人のツテを頼って建設現場で土方として働いた。

 私が働いたのは川に用水を作る建設現場であった。高校の卒業式もまだ終えていない右も左も分からない若造が、生まれて初めて大人に混じって働く。周りはほとんどが知らない人ばかりである。心細かった。

 もちろん、仕事の段取りなど皆目分からない。ただ、上の人から言われるままに仕事をする。少し専門的な作業は、みんな他の人がやる。専門的な作業をする人がずいぶんかっこよく見えた。

 私が与えられた仕事は、手押しの一輪車でセメントを運ぶ仕事であった。ものすごく重たかった。一輪車だから不安定で、ひっくり返りそうになる。そこを必死に耐えて運ぶ。雪の降る外仕事は寒かった。手がかじけた。体力の限界を超えるようなきつい仕事だった。ただし、仕事がきついぶん、日給は 良かった。他の建設業者が1日1500円だったとき、ここは1800円くれた。

 仕事をしていて一番つらかったのは、仕事のきつさもさることながら、仕事の段取りが分からないということだった。何をしていいか分からないから、人の言われたまま動くしかない。

「あれして」
「はい」
「これして」
「はい」

 惨めだった。仕事ができない悔しさをこのとき体で覚えた。その悔しさは、その後ずっと心の中の沈殿物として残った。

 短い期間ではあったが、土方からたくさんのことを学んだ。「職場に必要とされる人間になろう」と強く思ったこともその一つだ。また、社会はいろんな人がいて初めてうまく回ることも、学校では学び得なかった貴重な体験であった。

 どんな立派なビルも1級建築士だけでは建たない。危険な現場で汗水垂らして働く人がいればこそビルが建つのだ。さらに、厳しい建設現場の作業から、自分自身の根性が鍛えられたことも大きかった。土方のアルバイトを1カ月ほどやったあと、私は予備校に通い始めた。浪人中、頑張れたのは、このときの土方経験があったからかもしれない。

 後年、田舎に帰った折、その用水を見に出かけたことがある。水をいっぱいにたたえていた。たとえ私が死んでもこの用水は残る、とちょっと自慢したい気持ちになった。 ここは、私の人生の「出発点」となった思い出の場所である。稼いだお金で英会話教材を買ったが、英会話は今も身に付いていない(笑)。

 

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